MINI COOPER マニュアル トランスミッション の 魅力

MINIといえば「MINI Cooper」が真っ先に頭に浮かぶほど、「クーパー」という名前は一般的にも知られています。またこのネーミングがMINI Cooperを開発したエンジニア、「ジョン・クーパー」氏の名前から取られたということも有名ですが、ジョン・クーパーがF1のマシン開発などでも辣腕を発揮した天才エンジニアだということは意外と知られていません。そこで今回はMINI Cooperの生みの親、ジョン・クーパーにスポットを当て、その生涯をくわしくお伝えしてまいります。


ジョン・ニュートン・クーパーは「クーパーズ・ガレージ」という街のモーターサイクル修理工場を営む父チャールズ・ニュートン・クーパーの息子として生を受けます。チャールズはバイクなどの修理の他、小さなガレージ工房で市販車のパーツやエンジンを使ってオリジナルの車を製作するいわゆる「バックヤードビルダー」でした。大人になったジョン・クーパーは父と共に「クーパー・カーズ」を設立。本格的にレーシングマシンの開発を始めます。

◆ミッドシップレイアウトで革命を起こす

F1が始まった1950年頃、フォーミュラ・カー始めとするレーシングカーのエンジンレイアウトはFR、つまりフロントエンジン、リアドライブが一般的でした。そんな状況の中、ジョン・クーパーはエンジンを車の中心部にマウントする「ミッドシップレイアウト」を考案し、レーシングカーを開発します。現在のほとんどのレーシングカーが採用していることからも分かるとおり、ミッドシップレイアウトはレースというフィールドにおいて理想的なレイアウトです。一番重量のあるエンジンがボディ中央にあるため車の前後のバランスが良く、また重心が中心部にあるためまるで「コマ」のように、軽快に「クルリ」とコーナーリングをすることができるのです。フェラーリなどFRレイアウトを採用し続けたチームはジョン・クーパー率いるワークスチームに対抗することは難しくなりました。

クーパー・カーズが開発したミッドシップのF3、F2用のマシンは大人気となり、多くのプライベーター・チームに供給されます。このマシンは1950年に始まったF1(最初期はF2の規定で行われた)でも頭角をあらわし、ついに1957年からはワークスチームとして本格参戦します。そして参加からわずか3年後の1959年、1960年には年間トップとなり、コンストラクターズ・チャンピオンに輝くのです。またジョン・クーパーは人材育成にも才能を発揮し、その後F1史に名前を残す

  • ジャック・ブラバム
  • ブルース・マクラーレン
  • ケン・ティレル
  • ロン・デニス
  • といった錚々(そうそう)たるメンバーをチームから輩出。現在のF1があるのはジョン・クーパーのおかげといっても過言ではありません。

    フォーミュラ・カーのレースで大成功を収めたジョン・クーパーでしたが、イギリス・ツーリングカー選手権(当時はイギリスサルーンカー選手権)では大苦戦。英国車トライアンフで参戦していたのですが、切れの良いハンドリングを誇るライバル「ロータス」に歯が立ちませんでした。

    アレック・イシゴニス

    そんな時ジョン・クーパーの元に友人のアレック・イシゴニスが訪れます。いわずと知れたMINIの生みの親です。イシゴニスがちょうどその頃開発していたMINIのプロトタイプを見せると、天才エンジニアジョン・クーパーはすぐさまMINIのコンパクトなボディ、優れたハンドリング性能にレーシングマシンとしてのポテンシャルを見いだします。こうして希代の名車、「MINI・クーパー」が誕生したのです。ベースのMINIの850ccエンジンはロングストローク化されて997ccにボアアップ。SUツインキャブやオリジナルのギアボックス、フロントディスクブレーキを装備して、グループ2ラリーマシンのホモロゲーションモデルとしても1,000台生産されます。そしてこのマシンはその後ラリーで破竹の快進撃を始めるのです。

    ジョン・クーパーの手にかかったMINI・クーパーはラリーシーンで大活躍。
    とりわけモンテカルロ・ラリーでは1964~1967年の4年間の間に3回の優勝(※1966年は規則に適合しないライトの使用で失格とされた。実質的には4年連続の優勝である)と無敵の強さを誇ります。
    その他にも高速グラベルラリーとして知られる1000湖ラリー(現ラリー・フィンランド)においては、ティモ・マキネンの手によって1965年大会から1967年大会まで3年連続で総合優勝、1965年のRACラリー(現ラリー・グレートブリテン)や1967年のアクロポリス・ラリー(ギリシャ)で総合優勝をするなど、ラリー界を席巻するのです。

    この様々なレースでの功績により、ジョン・クーパーは大英帝国勲章を受勲。
    その後はレースから離れ、またMINI自体もBMWに売却されて新世代の「MINI」となりましたが、彼の名前はMINIクーパー及びMINIシリーズの最高峰「JCW(ジョン・クーパー・ワークス)」として、今も多くの人の心に生き続けています。


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