BMW Team Studie BOB鈴木総監督 TotoBMWオリジナルBLOG BMW M Motorsport History
こんにちは。BMW Team StudieのBOBこと鈴木康昭です。早いものですっかり秋めいた気候になって参りましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか?BMWとMotorsportの歴史、そしてM社とモータースポーツとの結びつきのコラム二回目となります。ご興味ございましたら是非お時間ございます際に一読頂けますと幸いです。
前回は1985年近辺の初代E24型6シリーズがヨーロッパ中のツーリングカーレースを暴れまくっていた時代までのお話をさせて頂きましたが、その少し前の1980年よりF1への参入を正式に発表し、開発から2年の月日を費やした後の1982年にF1名門コンストラクターであったブラバム社とタッグを組み、ブラバムBMWとして参戦を開始しました。そして、翌年あのブラジル人ドライバー、ネルソン・ピケがBMWにF1初勝利をもたらします。その後も1987年までに9度のグランプリを制しまた他チームであるアロウズやベネトン、ATS等にエンジンの供給も行い、またここでもBMWエンジンの優位性を世界にアピールする事に成功しました。そして、少し間を空けて2000年からはウイリアムズと、2006年からはザウバーとのタッグでF1界にBMWの名を刻み活動して参りましたが、BMW Motorsport社はBMW市販車へのフィードバックと拡販の為のPRにより重きを置くという理由で、2009年を最後にF1から撤退し、その後は今日現在まで活動はしておりませんが、最近はフォーミュラE(電気自動車のフォミュラシリーズ)に力を注いでいますね。こちらも段々と盛り上がっている様子なので、個人的には是非日本国内での開催を切に願います。
さて、話をツーリングカーレースに戻しますと1986年に皆様もご存知の初代E30型M3が遂に登場します。ベースこそ市販の3シリーズのボディを使用しておりますが、ボンネットとドアそして屋根以外はほとんどレース専用に製作され、また名機S14型直列4気筒2.3リッターエンジンは、その後市販にも搭載されますが、開発は完全にレース用として設計されたモノで、その証拠に市販車では必ずエンジンブロックにある、レースでは不要なオルタネーター(発電機)を固定する場所がエンジン側になく、仕方なく市販車では苦し紛れの外付けのステーで固定されている所で見て取れると思います。見た目は悪いですが、マニア的な視点で言うと、これはもともとレーシングカーとして作られたクルマだから、と友人達に自慢出来るポイントでもありましたね。このE30型M3は今でもBMW Motorsport社の歴史の中で「最も成功したツーリングカーである。」と言われています。ヨーロッパにとどまらず世界中のありとあらゆるツーリングカー選手権で勝利とチャンピオンシップを獲得し、またその栄光が市販車への最高のPRにもなり、世界で17,970台というスポーツモデルとしては誰も予想していなかった様な販売台数を達成しました。今でもBMWのツーリングカーと言うと、このE30M3を思い浮かべる方は私も含めて多いと思います。
E9 3.0 CSL をベースにしたツーリングカーは当時最強であった FORDカプリ と毎戦激戦を重ねたモノのやや劣勢でそれを打破する為にエンジンそしてシャーシの全てを進化させた 3.5CSL を投入し、遂に王者カプリの牙城を崩し、あの ル・マン24時間レース においても見事チャンピオンに輝きました。同時期には フォーミュラカー にも エンジンコンストラクター として精力的に活動を続け 名門マーチ社 に50基ものエンジンを導入し、ヨーロッパ・フォーミュラ2のシリーズでは16戦中11のレースで勝利を掴み、名実ともにエンジンのBMWをアピールする事になりました。(ちなみにこのエンジンは Studie AG東京店 と 横浜店 に一基ずつ展示しておりますので、ご興味ございましたら是非観に来て下さい)その後も02シリーズの後に続いた初代3seriesの320iをベースとしたツーリングカーでも輝かしい成績を収め、更にBMW Motorsport社は飛躍し、次なる新たなプロジェクトに立ち向かう事となります。これまでのレース車両は全て市販されているBMWをベースに改造を施し作り上げたレーシングカーでしたが、新しい次なるプロジェクトは市販車には存在しない車輌、つまりいちからレースの為に新たなBMWを作り上げるという壮大なものでした。それがBMWの歴史の中でも燦然と輝く名車、あのBMW M1です。
その後は二代目3シリーズであるE36型にツーリングカーレースも移行していき、これまた世界中のレースで連戦連勝の大暴れをしていくのですが、我が日本でもこの時期に日本ツーリングカー選手権・JTCCが開催され、わざわざドイツから参戦したBMW Teamが眩しいほどマシンもドライバーもそしてピットの装いやメカニックのスーツまでも他チームとは比較にならないほど眩しく光り輝いていた事を記憶しております。BMW Team Studieの母体でもありますStudie AGがBMW専門店として創業したのも丁度この時期でお客様のほとんどがE36型3シリーズのOwnerで、みんなこのJTCC仕様に憧れMスポーツモデルをベースに、レーシングカーと同じエアロパーツを着けたり、チェッカーフラッグ模様のMストライプを貼り、JTCCでもBMWが使用していたBBSのホイールを装着していた事を思い出します。バブル崩壊後で日本が元気のなかった時代でしたが、あの時BMWのE36マーケットだけは他を圧倒して元気でしたから、今考えると良いタイミングで開業しました(笑)あとE36型3シリーズでもう一つ印象が強かったのは、当時まだ日本ではマイナーだったニュルブルクリンク24時間レースで、あろうことかBMW Motorsport社はこのE36型3シリーズにM3も用意出来ているにも関わらず、2.0リッターのディーゼルエンジンを搭載したマシンで参戦し、他チームとは全く異なる燃費だけを重視した作戦で1995年と1998年の二度総合優勝に輝き、技術のBMW、そして頭脳のBMWをこれまでとは異なる手法で成功させた事も当時衝撃のニュースとなりました。本当に格好良かったです。
ここまでで22年前までのお話ですね。このペースで書いてるとご依頼の三部作では終わりそうにないので、少しペースを巻いていきます(苦笑)まだこの頃の時代は当然ながら中国の台頭はないので、当然ながらBMWビジネスの最大のマーケットはヨーロッパとアメリカでした。ちょっと時代が戻ってしまいますが、1970年代のオイルショック時代にヨーロッパではレースが一時期出来なくなり、BMW Motorsport社は舞台をアメリカに移しました。そこで意外にもBMWのブランド名が市場に浸透していない事に気付きBMWのロゴをもじって3.5CSLのフロントウインドウに「Bavarian Motor Works」と大きく書き示しました。BMWの語源である「Bayerische Motoren Werke」のドイツ語を英語表記にしたんですね。こういうセンス大好きです!ってペース巻いていくと宣言したばかりなのに、時代が戻ってしまいましたが(汗)IMSAやアメリカン・ル・マンシリーズを中心にアメリカでのレース活動は今でも継続して続いています。E36M3のド派手なオーバーフェンダーで武装したGTRはとても格好良かったです。
と、今回Vol.2はここで筆を置きます。(絶対3回じゃ終わらない予感ヒシヒシ・・・)大丈夫でしょうか?面白いですか?好評でしたら次回もあると思いますが、不評でしたら・・・・・モータージャーナリストの先生方とは違い、国語が大嫌いだった素人の文章でございますので、何かと読みにくいコラムに仕上がってしまっているとは思いますが、最後までお読み頂き有難うございました。
鈴木BOB康昭 氏/Toto BMWがスポンサードしている/日本唯一のBMW公認レーシングチーム BMW Team Studieの監督/1995年 BMW専門のチューンナップ・ショップ株式会社スタディ設立/現在、全国5店舗 BMW専門店Studie AG展開中